平成18年5月18日(Thu)〜5月22日(Mon)・滞在3日間
悲しく、寂しい里帰り
意味のある里帰りとしたい・・・
(ギャラリー&リポート)
昨年はとうとうずっと続いた『旅』が出来なかった
ここは正念場と当然の如く諦めた
いい加減には絶対に出来ないのである
結果は???
非常にいい加減な1年だった・・・
でもどうしようもないのである
出来ることと出来ないことがある
これでも他の人間であればこうはいかなかったであろう
わかる人は周りにはいない
このままではわかる人は多分一生現れないだろう
実はいるかも知れない?
しかしその【意味】がわからない・・・
一般的な評価など私にとっては屁のようなもの(失礼)
『人間は生きるために働かなくてはいけないが、断じて働くために生きているわけではない』
現状は耐えられない状況だ
他の人間に出来ないことをやっているのは事実ではあるが、自分の良さを活かしてはいない
自分からすれば、むしろダメダメだ
自分を活かせないのなら、私はここにいる意味があるのだろうか?
完全に無機質の物体と化しているのである
しかし、ひとつひっかかることがある
わからないはずがない
そう、信じたいのである
『世の中そう捨てたもんじゃない』と・・・
頑張りきるまでは・・・
でも、ここは思い切って行くことにしました
私にはもうこれしか自分を取り戻す道はないのです
(期待を込めた想いはつたわることはなかったので・・・)
これでダメなら・・・
その時はその時です
※ご案内/2006年・北海道の旅は事情により昨年同様、ビデオ収録はしていません
13時27分 出発
14時05分 東北道・岩槻IC
15時09分 速度超過で止められる
15時24分 開放されました
15時31分 那須高原SA着
15時52分 那須高原SA発・GAS給油
17時24分 鶴巣PA着
18時14分 鶴巣PA発・GAS給油
19時20分 紫波SA着
19時41分 紫波SA発・GAS給油
20時50分 八戸IC着
21時08分 八戸フェリーターミナル着
乗船は結構待たされました
22時00分 フェリー出航
出港前にお風呂に入る(ライダーはいない)
24時00分頃 就寝
昨年より出発が遅くなってしまった
(年々遅くなる。おかげで違反キップをもらうこととなってしまった)
昨年を考えるとかなりキツく、ハイペースが必要とされる
唯一の望みは今年は雨は降らなそうという予報が仕事の電話をしながらネットで昨日の予報がくつ返ったこと
フロントの干渉(GSX)に心配がありながらもアクセルは開いていく
ようやくペースがつかめてきた頃、ハッとする!
『そこのバイク止まりなさい』
後ろにぴったり白黒の車が・・・
何てこったい!
完全にボーっとしていた
萱野さんがいなくなってしまった中の帰郷、仕事の事、正直それだったかもわからない・・・
正にボーっとしていたのだ
ペースをつかむまでは歌を歌っていた
しかし、慣れてしまってからの記憶がない
これまで全てを掻い潜ってきた自分としてはかなりショック!
(この感性はもって生まれたものかも?)
しかし、そんなことはどうでも良いくらいそもそも落ち込んでいるのだ・・・
終わったな!
そんな感じだ
記憶が全くないのだから、一発○○と言われても一切反論出来ないから・・・
結果は罰金程度で済みました(実際はわからない?)
実際は正直どれ位? と聞きたかったがやめた
その後はひたすら低姿勢
何でかな?
こびているわけではない!
また、そんなに悪いことをしたという気持ちもない
私の基準は安全第一
これは相手(第3者)は勿論、自分自身も・・・
誰も守ってくれないですからね
その後、仕事の電話を挟みながらも間に合いました!
(この結果は実際かなり無理してる)
ワクワクした気持ちなどもちろんない
昨年とは違い今回ははっきりとした目的はあるが、その理由が理由だけに・・・
明日は二風谷
フェリーに乗った時点で昨年から時が止まっている様に感じた
ニ風谷で私はどう振舞ったら良いのだろうか???
北海道・第1日目 くもり〜すぐ雨
6時00分過ぎ 下船
4時頃に一回起きて少し寝れなかった
吐く息が白い
寒いのでしょうが全くそうは感じない
一目散にニ風谷に行こうとしたが、昨日からひっかかること・・・
私はどう振舞ったら良いのだろうか???
明確な答えは見つからず、昨年と同じ様に静内に向かうことにした
9時45分 二十間道路(静内)着
殆ど散ってしまっていました
しかし、今年は雨上がりではないというのが大きな違い
そして、何とも素晴らしい桜吹雪の中の走行が味わえました!
GSX-R1100の違いは、そう『ヨシムラ』です
そして、荷崩れを防ぐコンパネ
12時57分 二風谷着
『萱野 茂さんのチセ』へ
藤谷るみ子さんがいました!
憲幸さんはさっきまでいたとのこと
昨年は閉まっていたので安心しました
いつもと違う自分にすぐ気付かれます
カメムシ取りをしていました(なぜ?)
緑のクマ、自己紹介
2001年は北海道の山にいる私の仲間が間違った人を三人殺し、人を殺すのは
命賭けすぐに鉄砲で撃ち殺されました。過去100年間でクマが人を殺したのは
150人、年平均一人半ですが、申し訳ないと思っています
人間が来る遥か以前から住んでいたが、住み処を一方的に奪い取った責任が
ないとは言えないでありましょう
誠に残念ながら年間の交通事故死は約1万人、自殺者は約3万人、お気の毒
ですがその原因は?
クマが人を殺したのは年間一人、人間に殺されるクマは年間約300頭です。
カナダでは50年昔はクマに困る人身事故は1年に50件でしたが、2000年現在
1年に1件。なぜかと言うと、徹底した生ゴミの持ち帰り運動が功を奏したと聞き
ました。カナダを見習う事に因って、クマと人間双方に悲しい事故を皆無にする
確実な道であることを付け加え、クマを見たら有無を言わさず撃ち殺すのを止め
共生の道を探りましょう
2001年夏 萱野茂二風谷アイヌ資料館
そう、これが萱野さんなんです!
『貝沢民芸』へ
一宿の承諾をもらいます
守さん、雪子さんは山に行っているとのことで会えませんでした
『二風谷工芸センター』へ
高野啓子さん、繁廣さんと再会
『北の工房・つとむ』へ
徹さんと奥さんに再会
『平取温泉』へ
食事も同時に取る
帰りはどしゃ降りです
24時00分頃 就寝
『ニ風谷』着
何はともあれ行きたかったが、実は迷っていた
私はどう振舞ったら良いのだろうか?
明るく今年も帰ってきましたー!(から元気・・・)
それとも?
あいも変わらず静かな二風谷です
何はともあれ萱野さんのチセへ
藤谷夫妻には昨年会うことが出来なかった
年賀状でとりあえず大事に至らなかったことだけは知っていた
どうも・・・
るみ子さん『あら、いつもより早いんじゃない?』
私が萱野さんのことでいたたまれなく来たことに気付いていない感じ?
ただ、すぐ『何か元気がないんじゃない? いつもと違うよ』
そう、そうですよ
(元気が)あるわけがない・・・
真意を話し、葬儀のことなど聞いた
藤谷さんにとって萱野さんの存在は私などとても及ばない位大切な存在
しかし、私に接するるみ子さんはいつもと同じ様に振舞ってくれた
これなんです!
その後、私は突然異常発生のカメムシ取りに奮闘していました
何か心を紛らわす必要からだと思います
明日、また寄ることを約束してチセを後にしました
『高野民芸』は閉まっていました
『貝沢民芸』に入り今晩一泊の承諾を頂く
貝澤雪子さん、守さん、他は山に行っているということで会えませんでした
『ニ風谷工芸センター』へ
※アイヌ文化体験学習会場・二風谷工芸センター・企業組合ニ風谷民芸
ここではアイヌ文化(刺しゅうや木彫り・等)を体験出来る
2001年の『我が原点への旅』にて私が高野啓子さんに刺しゅうを教えてもらったところです
もちろん二風谷で製作された作品の展示・販売もやっています
開いています
啓子さんがいつもの様に『いつ来たの?』
『今日です。飛んで来ました』
『そう』
しばらくここ数日の様子を聞きます
そんな中、昨日から今日までの話をする
速度超過の件
厄を落としたと思えばいいんじゃない!
その他もろもろ・・・
全く個人的な詳細を話したわけではない
ましてや私の内地での姿など見たこともない
しかし、啓子さんは私以上に私を知っている感じの言葉をくれる
本当に有り難いことです!
私にとっての萱野さんの存在しかり・・・
これなんです!
ここが実際の生まれ故郷ではないにも関わらず帰郷となるのは・・・
しばらくして繁廣さんが来ました
明日は釧路に一日行くということで多くは話せませんでしたが十分気持ちは伝わったと思います
『北の工房・つとむ』へ
徹さんと再開です
『来たねぇ〜』
『はい 一応・・・』
毎年この地に来る人は何人かいるそうですが、ここ数年は私が皮切りとのことです
私は素晴らしい『ニ風谷』の存在を只々多くの人に知って欲しい
ということを話しました
あっという間に一日が過ぎた
『ライダーハウス』に一人戻る
昨年と同じく、私のために空けてくれました!
(山から戻って来た貝澤雪子さんに会うことができました)
現在は通常ライダーが訪れても断ることもあるそうです
しかし、私が声をかけた時、躊躇するようなことは一切なかった
これが証明しています
私という一(いち)ライダーがこのニ風谷で認められているということを・・・
食事〜温泉後雨が降り始めましたが昨年のように寒くはない
朝方のことを踏まえて薪を炊く
慣れたもんです
自分の中では時は止まっているのです
着いたばかりというのに明日はこの『ニ風谷』を離れなければなりません
日記を書こうと思っていましたが、一気に睡魔が襲い、寝てしまいました・・・
北海道・第2日目
5時頃 寒さに目を覚まし、再度薪をくべる
8時15分 起床 快晴
徹さんに朝のコーヒーをご馳走になる
今日はこれから小樽まで人を送り届けなければならないとのことでここでお別れ
固い握手を交わしてくれた
朝食後、萱野さんの墓参りをする
アイヌといっても昔ながらの『クワ』ではない
同じ墓地にはマンローさんも眠っている
墓石には『南無妙法蓮華経』の文字
宗派など全く関係はない
大事な事はこの地球は断じて人間のものではないということ
この地球に住まわせていただいている一個ということ
心を込めて三回唱えた
アイヌには墓参りの風習がないというが、最後の時(お葬式)に立ち会えなかった私としては
これしかない
戻って来ると守さんのところのネコがじゃれてきました
久しぶりに『萱野茂ニ風谷アイヌ資料館』に入る
変な話であるがそこにあるもの全てとても懐かしく感じる
『沙流川歴史館』へ
松浦武四郎の企画展をやっていた
昼食後、萱野さんのチセへ
るみ子さん『もう 行っちゃったのかな?と思った』
憲幸さん『久しぶり〜』
そう、2年ぶりだ
昨年は体調が悪く会えなかった
大分、調子は取り戻したとのことで安心した
『貝沢民芸』へ
昨日、明日は天気が悪いだろうからお話しが出来るねと言っていたが、この快晴で今日も朝から山とのこと
『北の工房・つとむ』へ
奥さんにお別れを告げる
16時02分 ニ風谷を出発
18時40分 札幌の姉の家に着
24時頃 就寝
2日間があっという間に終わってしまった
北海道・第3日目
9時00分頃 起床 快晴
中央公園でキャッチボール
甥は地元ファイターズのファンですが
なぜかグラブは松坂モデル?
平岡公園へ梅を見に行きます
桜とは逆にこちらは今年は満開(紅梅)でした
近くにしだれ桜があるとのことで行きました
今年は(も)お花見どころではなかったので遅い春を感じることが出来ました
余談ですが昨年、ツリー状(コープ)のジャングルジム(もどき)で遊びましたが正直その後筋肉痛で
辛かったです(笑)
トレーニングを怠っているので当たり前のことなのですが、今年もそんな機会が来てしまいました
継続して何もしていないので、こりゃ困ったな
だだでさえ行きの700km走行で手が痛く、握力もない状態
結局、甥の手前(私を運動神経抜群と思っている)、挑戦しましたがこれが何と楽なこと 正直余裕でした!
自分的には全く以って???
バランス感覚はバイクに乗っているのでともかく、筋力はどうか・・・
叔父の面子を保ったということで、まぁ明るい話題となりました
21時24分 札幌発
22時26分 苫小牧FT着
22時51分 受付終了
少し手間取りました
23時20分 乗船
24時33分 就寝
フェリーの目的地は昨年同様『八戸』
昨年褒めた近海郵船ですが、今年は受付〜乗船といただけない
別に怒りませんけどね
場所取りの後、早速お風呂に行くが、これがどうにも熱くて入れたもんではない
熱湯コマーシャルかよっ!ってな感じで、周りで入れる人は一人もいなかった
水道の蛇口もないので、水を入れようにも・・・
朝起きるとそこは八戸
何で戻るのか?
果たして戻る必要があるのか?
どうせ本当に私を必要としている人なんかいない・・・
8時30分 起床 晴れ
9時53分 やっと下船
暑いです
10時05分 サンクス着・朝食
10時24分 サンクス発
10時30分 八戸IC着
暑くなってきました
11時24分 岩手山SA着
11時45分 岩手山SA発・GAS給油
13時36分 菅生SA着
14時27分 菅生SA発・GAS給油
16時16分 上河内SA着
16時53分 上河内SA発・GAS給油
17時45分 岩槻IC
18時28分 帰宅
戻って来ました!(来てしまった〜)
明るいうちに着きました
今回は今まで以上に観光など無縁の旅であった
そう、『旅』ではなかった・・・
ニ風谷では昨年から時間が止まっている感じがした
しかし、そこに萱野さんはもういないのだ
こんな気持ちは高野啓子さんにはわかって貰えたようだ
思えばこの地で最初に仲が良くなったのは高野夫妻
もう10年も前のこと
戻って来て問う
意味のある『里帰り』だったかと?
まだ、答えは見つからない・・・
※このリポートは日記を元にご紹介しています
思い出ではないその時の旅がここにあるのです
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